栗木台鍼灸接骨院
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開業するまでの歩み

2020年9月5日

小学生の時、地元の野球部に所属して弱小チームだったのを当時の監督がこのチームは強くなるから、練習頑張ろう!と猛練習。

大会で順調に勝ち上がり、準決勝も勝ち決勝進出、そんな時決勝戦でハプニングが。

エースの肩に痛みが。絶対絶命の中、エースは最後まで投げ抜いて優勝。

しかし試合が終わって、結局それ以降投手としてマウンドに立てなかった。

近くの接骨院で治療するも治らず、エースのお父さんでもある監督が『ダメだあそこの接骨院やぶだ。』と言ってたましたが、その時とてもガッカリした記憶があります。

因みにに初優勝したからチーム名変えようと言って、栗木ジャイアンツと言うチーム名になりました。

練習すれば上手くなるし、結果も出ると事を知った。

将来の事を色々考えた中で鍼治療で、『治せる治療院を地元でやりたい。』その想いで鍼灸の学校に進みました。

順調に学校は卒業へ。猛勉強の末、はり師・きゅう師の国家資格にも合格。

就職先は当然、治せる評判のいい鍼灸院を探した。

『何年か働いたら、俺も自分で治療院ができるかな?』
そんなことを一人、考えていた。

就職先に選んだのが、東洋医学鍼灸治療中心の鍼灸接骨院(伊賀鍼灸院・接骨院)。

家から近いのもあった。(新百合ヶ丘)

面接の際こわもての関西出身の院長に

私『将来は地元(栗平・黒川)で開業したいです。』

師匠『ウチから近いけどええで』

師匠『その代りウチは厳しくて大変やけど、ここで頑張れば一流の治療家にしたるで』

私『はい、よろしくお願いします。』

そしてハードな毎日が続いた。

練習では

師匠『ツボの位置がちゃうで、もっとこの凹んだ部分や』

私『はい』

師匠『鍼の刺入が雑やな、もっと練習せい』

私『はい』

師匠『お灸の捻りが遅すぎる、リズムも悪い、もっと練習せい』

私『はい』

毎日練習した。休みの日も。

朝8時から夜の受付7時まで患者さんが途切れる事がなく来院した。

毎日100人来院する地域一番の有名鍼灸院で修行。(全国的に見ても1日100人来院する鍼灸院は数を数えるほど)

6:30治療院到着 院内清掃&朝練習
8:00診療開始 
13:30昼食
14:00午後の準備
14:30診療開始
21:00最終患者終了 院内清掃&新患カルテ記入&夜練習
23:00帰宅

休日の日曜日も練習か全日本鍼灸学会や日本鍼灸師会の勉強会に参加。

このころ一番欲しい物・・・休み

院長の助手として様々な経験も出来た。

肩こり腰痛はもちろん、逆子・不妊治療・顔面神経麻痺

様々な疾患をもった患者さんが来院した。

初めて逆子の患者さんに入ってお灸していると、

お腹の赤ちゃんが突然動き出した!!

思わず院長に

私『なんか凄くお腹動いてるんですけど大丈夫なんですか?』

チラッと見て

師匠『大丈夫や』

その患者さんは後で逆子が治ったと報告があった。

鍼灸って凄い!!と本気で思った瞬間だった。

不妊治療の患者さんも来院した。

師匠に言われたのが、『子供が出来ると生活から家まで全てが変わる、人生をかけて鍼灸院に来ているから、その覚悟を持って治療せなあかんで。』

この事は今でも印象に残っています。

ここは担当制の治療院だったので自分の好きな治療が出来た。

自分が担当の一番最初の患者さんに入って治療した最後に言われた言葉

『ありがとう!楽になったわ~』

この仕事して良かったと思う瞬間だった。

患者さんを任せられるようになって自分の担当患者さんも増えた。

そんな時先輩に言われた一言。

『飯塚君、師匠の近くで開業してもいいと思ってるの?』

恩師の近くでの開業は業界のタブー。

特に患者さんを引き連れて開業は出来ない。その思いもあり、

名目は柔道整復師の学校入学の為退社。

この鍼灸接骨院では5年間修行した。

若い時の苦労は買ってでもせよ。

良き師匠に出会い、20代にいい経験が出来た。

その後柔道整復師の資格取得。

このころ凄く悩んだ時期でもあった。

自分の店を開いて開業の道を選ぶか、会社に雇われて院長を目指すか。

選んだのは都内の整骨院グループに入社。

従業員が70人いてこの業界では割と大きい所だった。

社長面接の際100人来院する鍼灸院で働いていた事も話した。

それと驚いたことで、さすがグループ院と思ったのが、各院の売上と個人売上が月ごとに発表される。

私『まじかよ!個人売上なんて営業みたいじゃん』

そんな話を同期のメンバーと話した。

研修途中、社長に呼ばれ

社長『さっそくだけど飯塚先生には○○院に行ってもらう』

社長『ここは患者さんが少ないから盛り上げてほしいんだよね』

私『はい!わかりました』

そこではその後知ったのだが、患者さんが少なくて閉院にするか悩んでいたらしい。

院長も一年前に新しくなったばかりだという。なぜ潰れそうになっているかというと、

前院長が患者さんとスタッフをごっそり持って行き『近くで開業』したからだ。

現院長はグループ内でもエース級の先生で、肩書も部長。潰れそうな院を盛り上げる専門でやっている。

そしてテンションも高い(笑)

部長『一からスタートと思って頑張ろうよ』

部長『飯塚先生にもバンバン新患渡すから盛り上げて行こうよ』

私『はい頑張りますのでよろしくお願いします』

この院長は骨盤矯正を得意とする先生でその人から色々教わったのも大きかった。

患者さんもみるみる増えていった。今思うとスタッフも良かったと思う。

グループ院の中で成長率1位・自分も個人売上で上位に入った。

ここで結果を出した自信が開業へと繋がる。

開業場所はもちろん地元!

一応師匠(伊賀先生)に連絡した。

私『開業しようと思うのですが、場所どうか見てもらってもいいですか?』

師匠『ええで』

見てもらって言われたのが、

師匠『ここ坂やしへんぴな場所やなー!、お年寄りこれへんで!』

私『坂は微妙ですかねー!』

師匠『黒川ってどうなの?』

私『何もない所です』

師匠『でも駐車場あるんやろ?あれば大丈夫なんちゃうん!』

私『そーですよね!ここでやります!』

という事で2013年5月に栗木台鍼灸接骨院を開業しました!

開業してから地元の患者さんに言われた事、『君のお父さんは勿論お爺さん、曾おじいさんも覚えてるよ!こんな人だったよ~!』

『あなたのお婆さんとうちのお婆さん仲良かったのよ~!』

近くの方からも、『友和君だろ!生まれた時から知ってるよ!』

という色々な話が聞けて、地元でやって良かった。

そして新百合ヶ丘で働いた時の患者さんも来て頂いたのは嬉しかった。

鍼灸と言う東洋医学に出会い、この技術を極めるべく、日々努力を重ねてきました。

隠れ家的な治療院ですが、知識・技術・経験には自信があります。

皆様の健康に役立てるよう精一杯頑張りますので、是非ともよろしくお願いいたします。

なぜこの場所で開業したかったのか?

『地元が好きだからです』

1983年の栗木台↓ 何にも無かった笑

赤丸が治療院の場所です!

今後とも栗木台鍼灸接骨院をどうぞよろしくお願い致します!

 


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